2021/4/30

習慣と思い出の記憶

習慣として記憶されるような要素の記憶と、
思い出として記憶されるよな強烈な印象の要素の記憶では何が違うのか考える。

習慣としての記憶の要素は、日常生活において繰り返される要素であり、
想起される記憶であるため、一定の強化の後はそれ以上強化される必要がない。
思い出として残るほどの強烈な印象のある要素の記憶は、
その一度だけの刺激の記憶の要素として習慣の強化以上の刺激の強さの要素を持つことになる。

習慣の記憶は、長期に渡って記憶され、想起も繰り返されるために記憶として残るが、
周囲の環境が変化し、他の新しい習慣を同じ要素として記憶し、想起されるようになると
前の習慣の記憶の要素は忘れていくことになる。
例えば同じ時間に行われていた朝の登校が、成長してのち朝の出社に変わるなどした場合、
昔の登校の記憶が残っているとしてもあくまでその目的のパターンが残るが、
記憶としては汎用的な場面のみが残ることになる。

しかし、強烈な印象があるなどの刺激を受けた記憶の場合は、
その周囲の状況の要素も含めて単独の記憶として長時間に渡って記憶が残る場合がある。

一般的にはそのような状況の刺激は危機であったり、喜びであったり、
通常では受けないはずの刺激を記憶することになる。

その瞬間において受ける刺激として強烈であったとしても、
同じような刺激をその後も受けた場合は、その後の刺激と同じような
パターン化した刺激として汎用化されていくが、
独自の刺激であった場合は、その後において同じような刺激を受ける事がなく、
単独の刺激として記憶としての要素に残りやすいと考えられる。

時間が経過するごとに劣化や変化はしていくが、
他の刺激と干渉しあわない独自の刺激であることが長期に渡って
単独の刺激としての要素として残りやすいということなのだろう。

例え単独で強烈な印象のある刺激であり、記憶であったとしても、
長期に渡り記憶され、時折想起されることがあったとしても、
まったく単独の記憶として他の刺激と似ていない刺激であることはないので、
どうしても記憶の変化はしてしまうのは仕方がない。

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最も古いと思われる記憶を辿ったとして、
その周囲の景色を含めてどれだけ正確な記憶であるかは
その経過した時間と、他の似通った刺激や記憶があるかによる。

一番古い時期の記憶として思い出されるのは、
ある場所で転んで泣いた記憶
保育園のある木の芽を摘んで剥いてみた記憶、
その辺りの記憶が私にとっては一番古い記憶だろう。
実際の出来事とどれだけ異なるかはわからないが、
その瞬間の記憶としてはかなり鮮明に残っている景色を持っている。

記憶の想起によって関連した記憶がさらに想起されることはある。
今も保育園の木の芽の記憶を想起したところで、
その関連したコマ回しや、冬の寒い朝の記憶、保育園の門でぐずった記憶、
お昼寝の記憶、額に傷を受けた時の記憶、登園の坂の記憶、
昼食の記憶、散歩のお菓子と夏みかんの記憶、等次々を思い出されてくる。

これらは保育園という長期に渡った習慣であった記憶に関連する要素を持つ記憶が
保育園という要素を想起して思い出したことによって関連して想起された記憶である。
記憶は関連によって記憶され、その関連によって長期の記憶の保持に役立つ。

単独で強烈な印象のある刺激はいくつかあるが、
それらの想起によって他の関連された記憶が想起されることもある。

もっと過去の記憶も想起できるだろうか。
保育園に入園する前の記憶。
実際この付近の記憶は思い出してみても想起されるものはなかった。
私の最も前の記憶は保育園のものである。

習慣として記憶される事になる要素として
保育園の記憶は長期に渡って習慣づけて記憶された要素を持っているため
今でも想起できる対象の記憶として保持できているのだろう。

私個体の活動のなかで最初の生活習慣としてパターン化されたのは
この保育園時代の生活ということになる。
長期に渡って記憶と想起を繰り返して記憶として強化されたため、
そのために今でも記憶として想起できるのだろう。
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