2021/4/2

想像力とは

想像力は知能が自分の記憶の中から
認識しようとする刺激を想起して
さらにそこに別の要素を加えて新たな刺激として
認識することができる能力。
想起の一種と考えることもできる。
新たな創造をしているようで実際は
自分の手持ちの記憶から似たような記憶を1つの記憶としてまとめて
想起している事である。

この点は、思考も同様のプロセスを使っている。
想像力や思考力は人工知能の肝とも言える部分であるが、
実際は、知能が持つ記憶をどのように思い出そうとしているかの
違いだけである。

想像は漠然とした結果となる刺激の形で想起しても
答えとして知能は納得し、認識する。
思考は知能が意図する目的を持った刺激の形に想起できたときのみ
その刺激を答えとして認識する。

認識した刺激が真理であるかどうかは関係がない。
その知能がその時点で認識できたらそれが想像や思考の答えとなる。
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人間が何かを想像する時
そこに現れる像は本来存在していない
架空の像である。

しかし、何かを想像したときの姿形は
目で見るように正確でなくても
確かにその想像した姿で認識できるものである。

音や声にしても同様であり、
想像した音は実際に耳で聞いているわけでもないのに
そこに音として認識できる。

想像した内容は自分の記憶の中から選ばれて
認識できるだけの情報を持った刺激の形として
まとまりとなって認識される。

想像している内容は、自分の記憶に存在する要素からのみ
選択できる。
つまり、知らない記憶の要素は想像には使えないということになる。

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想像力の正確さ

想像力には正確さは不要なものである。
当事者の知能が正確さを求めるなら
その求めただけの正確さは必要となるが、
想像力によって想像された認識される刺激は
その想像した知能が持つ記憶の正確さにもよる。

要するに特定の分野の研究者がその分野の何かについて
想像した時は、その研究者が持つ知識の量や正確さによって
想像した結果となる認識される想像物の結果はそれなりに正確になる。
しかし
研究者でない一般の人間がその分野の問題について
想像しても何ら正確な想像物の結果は得られない。

まったく知らない内容について想像しても
その答えはあまり意味のないものになるということだ。

しかし、ある程度の知識を持った人間が集まって
ブレーンストーミング等を行うと参加者の知識と記憶が合わさって
良い結果が得られる事もある。

とにかく想像する者は、その想像したい内容について
多くの情報としての知識、記憶を持っているとより正確な
求めたい答えとしての想像物に近づくことができる。

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想像力とは

想像しようとする知能が
その想像しようとする内容についての知識としての記憶を
どれだけ持っているか
そしてどれだけ想像しようとする内容についての関連する要素を
想起できるか
その能力が想像力ということになる。

多くを知り、多くを思い出す、これが想像力。
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想像の例:

誰か身近な人の声を想像して再生してみるとする

その人が「こんにちは」と言う音声を想像できるだろうか。

今実際にその人が居なくても
その音声は想像できるはずである。
想像して「こんにちは」という音声で認識できるはず。

「こんにちは」でなくてもいいが
とりあえず私はできた。

ここで注意する点としては、
この時、知能はその人が過去に言った「こんにちは」を
記憶していて、それを想起しているわけではないということだ。

ここで使われている記憶は、
その人が普段会話で使っている音声の声質や抑揚を
その人が使う音声として記憶している。

そしてそこに例として使われた「こんにちは」という
挨拶の言葉を、その人の音声で再生したと想像した刺激を自身で認識しているのである。
そして、その人が「こんにちは」と言っている音声を認識できたということになる。

この声質や抑揚などは、別の人に当てはめてみても
同様に「こんにちは」と言う音声で想像し認識できるはずである。

これは記憶としての要素として
声質や抑揚の刺激されるパターンでその人の声と記憶しているものと、
会話などで使われる文字や言葉を想像する時の記憶の要素として想起して利用している。
それを組み合わせて自分の知能が想起して認識したものである。

遠い記憶の人物の音声も使うことができるが、
この場合は、少し曖昧な音声になるだろう。
イメージはその対象の人の声であると認識できるのだが、
その音声はあまり正確な音声ではない。
これは、自分の記憶が曖昧になっているからなのであるが、
この曖昧さを含めて対象の人物であると想起しているため、
曖昧なままであっても、その対象の人物の音声であると認識できる。

まぁ曖昧であっても知能がもともとその人の音声として記憶から想起しているので
認識してその人の音声になるのは当然と言えば当然なのであるが。
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ここで重要なのは、
そうやって想像したりする時の要素は、
自分が記憶で持っているものからのみ使用できるということだ。
そして、それらの要素が記憶としての単位となっているということ。
これまで記憶の中の要素と言っていた、記憶の要素の単位が
この想像の時に使われた最小限の記憶が記憶の要素の単位ということ。

人間が記憶する要素はこのようにして分類していけば
記憶の最小限の単位に分けることができる。
そして、その要素を構成する刺激をそれぞれ刺激として認識し、記録できるようにすれば
人間と同様の記憶の要素を認識し、記憶できるということになる。

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音声で対象が認識できるというのは、
その対象を記憶している要素の1つとしての音声の声質や抑揚が
その時受けた音声の刺激として受けた声質や抑揚が、
その対象の持つ記憶の要素と同じ部分が刺激によって励起され、
その音声の持ち主の記憶が想起されたということである。

細かく言えば、
声を聴いた、
その声の声質や抑揚の記憶のパターンが記憶された特定のパターンと一致した。
そのパターンの持ち主の要素が認識された。
そして、その要素を持つ、その声の持ち主が想起された。
その声の持ち主が想像で認識された。
ということになる。

実際この場合はしゃべった会話などの内容は関係ないということ。
声の音声の構成する要素のみが重要で、
まぁ特定の決まったフレーズ等から想起するというパターンも考えられるが、
通常は決まり文句を持っている人などは多くない。
口癖(くちぐせ)ならあるかもしれないが、
まぁ、ほとんどは会話の声を聴いただけである程度
誰が会話をしているか想像はつくことになる。


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