2021/3/23

知能と知性と価値

シンプルに考えると知能は全て価値の判断が元になっていて
単にその価値判断の様子が知能があるように見えているだけ
ということになる。

カラスに知能があるかと言われると、
知性は感じられるが、自我をもっているようには
感じられない。

思考はしているかもしれないが、
自分という自覚はなく、
現在の多くの弱い人工知能のように
何かの様子が欲求を満たす何かとして上手くいった結果、
それを記憶してそれを繰り返しているだけに見える。

人間の知能もそれと同様に何かの自然現象が、
自分の欲求を満たす目的に合致しており、
その結果として価値を得られたという経験の蓄積により
知性が生まれた。
人間が少し他の生物と違うのは、
脳の拡大に恵まれた体や頭であったことや、
手や知能のほかに自然界で生き抜く能力が低かったことも幸いしている。

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全ての知性も知能も価値の判断をもとにしている。

誰かが何かを目的として行動している様子は
その何かの目的を達する事が価値のあるものだと
その対象が考えているからだと分かる。

これが自分であっても、
全ての目的も行動も最終的に自分が得られる価値が
あるために考えたり、行動したりしている。

価値は根幹には生物としての欲求があり、
高次に知能が発達した今の人間は
共通の価値観で価値を新たに作り出し、
権力や、金銭や、名誉などに新しい価値を見出いして、
それを得ようと目的にしたり行動したりしている。

脳が価値を基準として全ての判断に利用していると考えると、
非常にシンプルなシステムになる。

知能を持つ個体が価値を得られるのであれば
それを目的として実行する。

それだけのルールとなる。

人間の知能で、これだけのルールとなると
原始の時代に逆戻りしてしまうが、
理性などとして他の者との関わりを価値のあるものとして
考えた結果が価値のあるものとして目的とすると、
互いの利益も価値のあるものとして知能が認識できる。


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