2021/3/19

思考の答え

思考によって導き出される答えは
過去の記憶の中から思考する間に励起された記憶の内で
もっともらしい記憶として想起され認識された刺激の塊であり
その答え自体は、思考する個体が持つ記憶の刺激の組み合わせたものである。

思考する個体が答えを出そうとしている間に
何が行われているかというと、
思考する目的として思考の最終的に得られるであろう答えの
イメージが設定される。

この時の答えのイメージは思考の答えとしては正確なものでなく、
何かの疑問や想定される答えの漠然とした説明ができる程度で
認識される答えの状態である。
この状態でも知能としては思考の答えとして認識はしている。
認識はしているが、説明できるわけではないし、
知能自体も完全なる答えとしては認識できていない。

この漠然とした答えを知能で正確な要素として分類し、
思考の回答として認識し、記憶するために思考することになる。

思考の答えの漠然としたイメージができると
思考を始めることになるが、
この思考においては、知能が新たな刺激や記憶、要素を作り出すことはない。

知能がその思考する時点で持つ記憶から思考の回答は作り出される。

発見や発明は知能が完全に新たな物を作り出すことではなく、
その時までに知能が蓄えていた刺激・記憶を組み合わせ、
新たなパターンの刺激・記憶を作り出したものである。

シナプスは思考の答えと関係しそうな刺激の記憶に軸索を伸ばし、
思考の答えに関係しそうであると分かると刺激を与え、関係を結ぼうとする。
もし回答に近づいているものとして刺激の強さが増すのであれば
これは答えに近づいていると認識、意識される。
この時点で答えと関係ない、刺激の増加が無いと認識、意識されると
これは答えに関係ないものとして記憶の関係を持たない。

そうして思考する間に様々な答えのパターンを試し、
目的とする思考の答えの望むべき価値に近づくように
刺激のパターンを変えながら思考することになる。

この新たなパターンが思考の目的とする答えと価値を比較して
答えとしての刺激がスレッショルドが十分であると認識できた場合に
思考の答えとして認識、意識される。
そして思考が完結する。
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知能が思考することを認識、意識した際に、
さぁ考えるぞと思った時には、答えの漠然としたイメージも作られている。
しかし、知能はこの状態の答えは答えとして認識しているわけではなく、
考える目標として、価値のある未来の望みの状態として認識、意識している。

そして、
答えとなる記憶の刺激のパターンを次々想起しながら
答えと比較していき、やがてその思考の目的の回答の価値として
十分な刺激の強さが得られ、認識、意識されると
それが思考の結果としての答えとなる。
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思考する知能が持つ刺激の種類によって
同じ思考する目的となる答えの姿は異なる。

知能がどれだけの種類の刺激を記憶して持っているかによっても変化する。
知能がこの刺激の分類となる要素の種類にも関係する。

逆に言えば、知能がこの思考の回答にふさわしい刺激の記憶を持っていない場合、
どれだけ思考したとしても答えに到達しない。
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知能自身が持つ刺激から、これが答えだとして認識、意識することはできる。

他の知能から見てそれが正しいか正しくないかという判断の認識もできるが、
各個の知能がそれを答えだと勝手に認識、意識することもできる。

一例としては芸術作品等はこれに当たる。
生み出した作品は制作した知能が、思考と同じプロセスで導き出す事と同じで
作品という答えに到達した結果である。
この作品は制作した知能が思考の目的として作品を作り出すという思考錯誤の
中で導き出した答えの刺激のパターンの姿である。

他の知能からこの答え・作品を見た場合に
同じような刺激の記憶や、刺激のパターンを持っていた場合、
それらの刺激が想起され、共感や刺激そのものを想起して認識、意識される。

また、同じような刺激の記憶や、刺激のパターンを持たない場合、
何ら刺激されることがない作品ということになる。


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