2021/3/15
価値の設定
価値はある認識可能な対象の状態の差
を認識し、その各状態の本来持つ価値に価値観による係数を乗じて
その差を認識することで価値の認識がされる
価値の設定においては
価値を認識するための対象の2つの状態の差に
個人の知能が持つ価値観の係数を乗じた量が価値になるが、
この2つの状態はそれぞれ認識できる状態でなくてはならない
過去や現在における対象の状態を認識するのと同様に
未来の状態を認識する場合も、認識できるだけの未来の状態を
認識してからでないと価値の設定には利用できない。
ある品に対して購入する予定ができた場合、
この品に対する価値は、未来に知能を持つ個体が
所有する未来を想像し、所有したときの状態を認識した場合に
価値の比較のための対象として利用できる。
ある品の状態は現在は例えば別の個人や、商店に陳列されている状態で、
未来に購入する予定の例えば自分が所有した未来を認識できるだけの
想像をした時に、現在の状態と未来の状態の比較としてその価値が設定される。
この購入の場合では、現在の所有権のない状態から、自分が所有した時の状態の差に
自分が対象に持っている価値観を乗じ、その自分が考える価値が認識できる。
ここで、購入を実行する場合であれば、自分がこの品に対して認識した価値が、
自分が持つ金銭の価値よりも大きい価値であったと判断した結果であり、
自分が持つ金銭の価値の方が大きいと判断した場合は、購入しないはず。
価値の判断は時間経過や周囲の環境の変化によって価値観が変化するため、
価値の判断を行うタイミングによっては価値の大きさが変わり、判断の結果も変わる場合がある。
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刺激の認識が時間の経過によって減衰するのと同様に
多くの価値の設定は時間の経過によって減少することが多い
ある対象を認識した時の刺激が、時間の経過によって減衰するため
この刺激に対する認識と価値の設定が減少する。
未来に価値が増加すると認識できるのは、
その対象に付加される要素が時間の経過とともに増加する要素を含む場合である。
例:アンティーク・ビンテージ
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価値の比較される内容について
ある2つの対象物の比較の場合、
比較されるのは2つの対象物が共通して持つ要素に対してである。
例えば急にリンゴと鉛筆の価値を比較しろ
と言われた時に、まず知能が行うのは2つの対象物が持つ共通の要素についてである。
リンゴと鉛筆が持つ共通の要素、
私はこの時、一般的なリンゴと一般的な鉛筆の価格に注目した。
この時、私は一般的な赤いリンゴの価格を過去の情報から認識
まぁ1個100円くらいなら少し良いグレードのリンゴが買えるだろうと認識した。
また、一般的なメーカーの鉛筆であれば1本70~80円位で買えるだろうと認識した。
そして、価値の比較に価格という要素を比較し、
価値としてリンゴの方が鉛筆より価値が高いと判断した。
一見異なる対象であっても共通の要素があれば価値の比較はできるし、
共通の要素を認識することができなくても
後からこじつけでも共通の要素を付加して価値の比較をすることもできる。
まったく関係のない対象物であっても、
何かしらの共通する要素は見いだせるものである。
一方が持つ要素と他方がその要素を持たないという事でも
その要素を持つか持たないかという要素で比較できる。
それらは価値の比較においては共通する要素としてみることができる。
例えば富士山とヘリコプター
一見価値は富士山の方が高そうであるが、
人を運ぶ機能でみればヘリコプターの方が価値が高いと判断できる。
そもそも人を運ぶ対象物としての比較はできてはいないが、
知能にはその対象物が何であれ、認識できる対象物であれば
どのようにも比較し、価値の設定は行える。
つまり、価値の比較や判断の機構は、
相当に汎用的に作られている機構であると言える。
自然が最もシンプルなシステムを選ぶように、
人間の知能も価値の比較にはかなりシンプルなシステムにしているのが分かる。
認識ができる対象物であれば何でも比較できる。
ただし、認識できない対象物については価値の比較ができない。
そもそも知能が認識できない時点で、存在が認識できないので仕方がないが、
名前にしろ、想像した姿にしろ、仮想的なものであっても対象として
認識できる状態にないと、その対象物は価値の比較が行えない。
「未確認飛行物体」でも知能は認識できる。
しかし、「 」こういう対象は認識できない。
「(スペース)」これは認識できて価値の設定も比較もできるが
「 」これは認識できない。
「空想物体」これは各知能がそれぞれに想像して認識できる。
「 」これは認識できない。
この空間も空白の文字コードであれば認識できる。
白い空間とすれば認識できる。
それでも何となく私の知能が持つ想像物を
他人が認識することはできないのでこの時は他人から見た私の
何となくの想像物には認識も価値の設定・比較も行うことができない。
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